ショートストーリー

毎週月曜日に短編小説投稿を目指します。ジャンルは様々。

地球貢献度

気づいたら死んでいた。
 「なので、貴方は……へ行くことはできません。」
 視界がブラックアウトしたかと思えば二度と見たくもない会議室の光景。Aは気づいたらそこにいて、気づいたら椅子に座っていた。目の前には灰色のスーツに身を包んだ真面目そうな女性。その女性は真剣な顔付きでAに告げた。
 「は?よく分からないんだけど、俺は、死んでいて?その、よくわかんないとこには案内されないってこと?」
 「A様、貴方は死因:転落死による頚椎損傷で逝去なさいました。貴方様の……日本語に該当する言葉がないのですが、言うなら地球貢献度が足りないため……貴方の言語に近い言葉で言う桃源郷や天国に近い場所……には行くことが出来ない為、もう一度人生をやり直していただく、という形になります。」
 「はぁ」
 地球貢献度?
 「地球貢献度ってなんだ?」
 「地球様は自らに居る生き物が反映することを望んでいます。生き物が多数生息するからこそ地球様は健康に生きることが出来るのです。言わば、そうですね、わかりやすく噛み砕くなら、地球様に居る生き物は貴方達の言う善玉菌とか、白血球とかと近いものであるかと。」
 「それで、貢献て生物を守るとかそういう事か」
 「近いかと思われます。地球貢献度は、死ぬ間際にある生物を助けたり、種の保存を行ったり、自身の子孫を残すことで貢献度が上がります。逆に生物を殺した場合貢献度が下がります。例外として、子孫を既に残してこれ以上子孫を残すことが叶わない生物のを殺すこと、自身生きるために生き物を殺し後にきちんと子孫を残したばあいは貢献度は下がりません。天国に行くための貢献度を100と置くなら貴方は5です。」
 「おいおい、俺がどうなろうが勝手だろ!」
 「A様は種の保存活動を行っておらず、また、子孫は愚か性交渉もなく、子孫を残さずに生物を殺生していたため、かなり低いですね。」
 「ほっとけ!」
嫌なシステムである。なぜ地球に貢献しなければならないのか、温暖化がとか水質汚染とか絶滅危惧種の保存だとか叫ばれていたがAは片時も気にしたことは無かった。今でも俺は関係ないというスタンスを貫くつもりだ。
 「A様が関係ないと言った所で生まれ変わることは事実ですので、貢献度を一定数挙げないと永久に人生をやり直すこととなります。」
 「嫌だ!」
 Aは声を荒らげ、机を打った。女性は眉ひとつ動かさず視線は動かない。
 Aは工事現場から転落した。恐怖はあったが、これで終わりなんだとそう思えた。Aは現場作業員で日々怒鳴られながら過ごしていた。無能だ無能だと言われながらも、会議室に呼ばれ説教され、それから会議室を見る度震えが止まらなくなった。現場でもしょっちゅう怒られていた。それでも仕事を頑張ったつもりだった。
 「地球に貢献できない生き物に安楽はありません。ひたすら生き物を増やしてください。特に生き物として子孫を残さなかったことは致命的失敗です。」
 Aはぐりっと心が抉られる音がした。子供は欲しかった、けど不器用な性格とお世辞にも美麗とは言えない容姿から女性に相手にされたことは無かった。
 「家族を持って、子供を持って養うことが成功で、子供がいないことは失敗ってか?ふざけんなよ!俺は!毎日毎日暑くてきつい中働いてんだよ!」
 「だから、どうかいたしましたか?」
 彼女は目を逸らさない。
 「働くのは自分のためであって、人間社会のためでしょう。地球には関係ありませんから。」
 現場は暑く、今日も怒られるのかと憂鬱で眠れない日が続いていた。
 「貴方がどう思うと地球様が良しとするか否かなので。」
 あの時の自分は、頭がぼうっとしていた。
 「なので、A様はもう一度やり直していただくこととなります。」
 気づいたら足を踏み外していて、ふわりと体が浮いて足元がなくなる。体は地面へと落ち、一瞬の恐怖の後、嗚呼、終わるのだと思った。心臓が口から出ていってしまうくらいの浮遊感と衝撃があった。
 やり残したことは?
 「罰を受けろとそういう話ではありません。やり直していただくのです。2度目の人生なので幾分楽かと思いますよ。」
 Aは俯いた。
 「皆様、幼少で亡くなったり独身でなくなった方は思うより多くいます。皆さん人生を何度も体験している方が多いので。」
 「分かりました。」
 「次は、頑張ってくださいね。」

夏の日

Aはいつも彼女を見ていた。Aの前を通る彼女は真っ白のワンピースをはためかせながら、悠々と歩くのだ。恋に落ちた。好きだと思った。彼女は茜色に落ちる太陽よりも眩しかった、夏の日差しよりも綺麗だった。
Aは、まだ名も知らぬ彼女を毎日毎日見ていた。夏が終わる前に、彼女を振り向かせたかった。だからAは体を震わせ好きだと言う。誰よりも長く誰よりも大きな声で好きだと言った。声が揺れる。何度も何度も好きだと彼女に伝えるが、彼女はいつものように悠々と歩く。好きだ、好きだ、好きだ。Aは彼女に好きだと伝えなくてはならなかった。振り向いてもらいたかった。
Aは今日も言う。明日と明後日も好きだと言う。体が悲鳴をあげようとも好きだという。Aには時間が残されていなかった。彼女は汗を拭いながら通り過ぎる。
また今日も、振り向いて貰えない。それでもAは好きと言う。
Aはないた。好きなのだとなく。好きで好きでどうしようもない。彼女に、1度でいいから、死ぬ前に目を合わせて欲しかった。残された時間は少ない。捨てられない思いに体が軋む。何故好きになってしまったのだろう。体が日差しにジリジリと焼かれる。
今日もまた好きと言う。彼女はふとを止め、また歩き出す。
今日は雨が降った、体を濡らしながら好きだという。彼女は傘をさして早足に通り過ぎる。
好きだと言う。この思いは絶対に伝わらないことを知っていた。分かっていた。自分のこの腕では彼女に触れることは叶わない。彼女とはあまりにも異なる節くれの細い腕。体格の異なる体は文字通り足元にも及ばない。彼女を守ることは、Aにはできない。近寄ることすら出来ない。それでも好きになってしまった。
今日も好きだという。水に濡れた体は歪な音で好きを伝える。彼女は歩きながらチラリと見た。その表情は顔を顰めていた。
今日も好きだという。日は短くなり、季節は自分の命を刈り取ろうとしていた。季節は過ぎていくものである。命はもう長くない。それでも好きだという。
好きだという。夏は過ぎる。Aの声では彼女の心を繋ぐことは出来ない。それでも好きだと言う。
自分の声は届かないことは分かっていた。自分は「蝉」なのだから。
好きだという。彼女には届いただろうか?

自察

川を見下ろしながら、歩く。緑に淀んだ隅田川を、端に触れないようのぞき込む。端に触れてしまえば飛び込みたくなる気がした。飛び込んで、飛沫を浴びて、消えてしまいたいと思いたくなる気がした。川に流れて目を瞑れば、どれだけ気持ちいいだろう。緑に溶けてしまえばどれだけ楽しいだろう。
死にたいと思うほど大層な苦労を背負っているわけでも、現実が辛い訳でもない。自分よりも苦しんでいる人、悲しい人辛い人は大勢いる。自分と人生を代わりたいと思う人は数え切れないだろう。死にたい切っ掛けなど、
ない。
それでもふと何も無いのに死にたいと思う。
スカイツリーを見あげて、グルグルと廻る。過ぎた願いを抱えて、死にたいと泣くその人生を生きてみるのも悪くは無い。

共感覚

共感覚、すなわちエンパスは高い共感能力がある。
Aは人に対して強く出ることが出来ない。その人に対して不満を言うことが出来ない。喧嘩することが出来ない。他人を傷つけることは自らを傷つけるよりも辛いことである。自分のことは後回しで自分の痛みにひどく鈍感になりがちである。
自分の行きたいところより、他人の行きたいところである。自分の行きたいところよりも、他人が楽しみにしているところの方が、謙虚ではなく本心から、楽しく思えるのである。人の喜びを自分の喜びとして受け取ることが出来る。逆に、人が喜ばなければ自分は本当に喜ぶことは出来ない。
人に対して色として認識する。それは、相手の感情によって波打ったり、色が変わったり人といるのは飽きない。人によって異なる色味は、好奇心が強ければ次々にその人が気になって、人といるのが楽しくなる。が、同時にしんどくもある。嫌われているのか好かれてあるのか、人間関係の立ち位置がある程度わかる。満員電車やコンサート、ライブ会場の中にいると様々な色味によって人酔いしてしまう。今のところ、色によって性格的な傾向があるかどうかはわからない。また、その人の色ではない服を着ていると非常に違和感があるのでなんともうずうずしてしまう。名前の色と人の色がちがっていると、人の名前を覚えるのがとても難しい。
人の死や暴力に触れると、心臓が高鳴ってしまう。でも、気になってみてしまう。まるで自分が殺されるかのような恐怖に陥ることもある。しかし、見たいという好奇心もある。
小説、漫画、映画の世界にどっぷりと浸かることが出来る。まるで主人公となり、ココロと本が一体化したように感じる。見終えると、なんとも言えない喪失感があり、追って作者や世界観を調べてしまう。

合コン

Aはフェイスクリームを手に取り、顔全体に伸ばす。顎から耳の下までクリームを伸ばし首筋に降ろす。次に目の周囲を揉みこみ、額から顔の側面を揉み、首筋へと流す。そうしたフェイスマッサージを終えて、Aは髪を整えてスーツの着こなしを確認する。ネクタイのズレ、スーツのシワを確認しカバンを持ち、外に出る。仕事終わりの夜は、久々の合コンである。それも、親や職場からの結婚しないのか?という圧力が強まったせいである。新卒入社して5年目、27歳のAはもうそろそろ……と言われる時期に差し掛かっていた、焦りだった。
 現場や力仕事といった業務の全ては機械に取って代わられた。事務作業も全ては機械化、数字を取るような営業は公正取引の観点から消えた。今存在している職種は全て、所謂サービス業と研究職である。女性の理系職に占める割合も男性より増え、女性の社会進出が進んだ結果、男性は家庭にはいるものという認識である。女性が子供を授かってから母乳を卒業するまで男性が一時的に働き、子供が育ってから男性が家庭に戻るというスタイルが主流である。今や平均年収は女性の方が高い。男性の体力が子供遊びに向いており、家庭内でまだ残る力仕事をこなすことが利点であるから、とされた。
  いつもの電車に乗り、職場へと向かう。車内広告には、「男はつるり肌」などといった髭脱毛の広告や中年太りを戒めるダイエット広告が並びげんなりする。髭面でクリーム等保湿されていない顔面の男は女には選ばれないから脱毛もしたしクリームも欠かさない。男性なのに筋肉質でなければ女性からはデブだと言われるから毎日の運動も欠かさず、つまり、自分磨きには気をつけている。が、Aはまだ結婚できていなかった。Aは女性と結婚がしたかった。男の幸せは家庭にある、と感じるようになってきたのだ。職場と自宅の往復は虚しかったし、妻が欲しかった。今の職場を寿退社して専業主夫として尽くしたいと思う。というのは建前で、早く仕事を辞めてゴロゴロした生活を送りたいのが本音である。早く辞めたい、早く。
 従来は、定年退職後の男性は仕事のみに生きていたことから孤立しやすくなり特に熟年離婚した場合、孤立が深くなり生活習慣の悪化等による孤独死が問題とされていた。しかし、男性が家庭に専念することで男性の性格は幾分柔らかくなることが認められ、家庭不和が起きにくいとされた。
 歩きなれた通勤経路を行き職場へ、デスクに座ると上司が歩いてデスクの近くへ来た。
 「どうかしたんですか」
 「君はいつ結婚するの?」
 またこれだ。
 「やだなあ、交際相手も居ないのに結婚できないでしょ」
 愛想笑いを混ぜながらいつもの答え。
 「はやくいい人見つけなね、社内交流も深めたら?」
 上司が目線を逸らした先にあるのは独身女性。直属ではないものの上司にあたる女性だがもう50になり、仕事が出来ていないことを理由にAに怒鳴り散らしてくることが多々あるのだ。
 上司はニタリと笑いながら去っていった。

 Aは御手洗に入り、ウェットティッシュで靴を拭く。鏡で襟を整え髪を撫で、席へ向かう。Aは仕事終わりに、合コン会場となる居酒屋へ向かった。5:5で男女が集まり、男性の参加者は1人は友人であと4人が友人の友人と言った具合であった。席に着くと全員に生ビールが運ばれており「A!遅いぞ!」とジョッキを持たされて幹事がこの出会いに!等言って乾杯した。
 「おいA、気合い入ってんな」
 「そら、もう3年くらい彼女いねえからな」
 小声でそんな会話をしながら席を変えていく。Aの隣には毛先を巻いた女性が隣に座り、赤く塗られた口元をあげて挨拶される。Aも簡単に自己紹介しながら軽く話をした。彼女は大手商社に働いており、都内にマンションを所有しているということだった。学歴はAより高く才色兼備という言葉が似合う美しい女性だった。女性陣の1人はトイレに行ったのか席を外すことはあったがしばらくして戻ってきた以外ほかの男女もかなり打ち解けていたようだった。話が弾んだところで、彼女はAの腿を指先で触れAは震えた、大胆である。しかし、話が盛り上がっているとはいえ初対面の人間に触れられることは違和感のあることであった。彼女は気にせずAに小声で話しかける。
 「キミさあ、私の好みなんだよね……」
 彼女が手を挙げて酒を頼んだ。
 「もっと飲も、もっとAくんのこと知りたいんだ」
 Aは火照る顔を隠すように、頼まれた酒を煽る。
 それ以降の意識はなかった。気づいた時には体の疲労感と共に公園のベンチにいた。

 Aは後日幹事の友人に抗議したが、彼女は酔っ払って歩けなくなったAを介抱していたと言った。重かったから途中置いたのだろう、感謝しろとの回答だった。Aは失敗か、と肩を落とす。
 少したって、Aは養育費についてという書類が自宅に届く。驚いたAは名前のあった彼女へと連絡を取る。Aは彼女の指定した喫茶店へと向かった。
 「妊娠しました、そういうことです」
 彼女は毅然と珈琲を飲む。
 「なんで、あの時ヤッたってのか!?」
 「そう、この子の父親は貴方だから、鑑定してもいいけど」
 「なら、もう結婚でいいじゃないか」
 Aは混乱していた。
 「はァ、私が何故2人養わないといけないの?私は家事も育児も仕事もできる。両親もいるし、主夫なんていらないの、だから養育費だけもらうわね。
 だってこの子は貴方が父親だもの」
 親とは、なんだろうか。

バーのおねえさん

す看板のネオンが僅か雑音を鳴らす。一見お断りな雰囲気のバーにふと足を止めた。夜中だが看板のネオン以外に光はなく客引きする気のないそんなバーの扉を押した。からころと子気味良い音がなり数セットの机とカウンターが見えた。外で見るより中は広いとそんな印象だ。客は1人のみカウンターに座っており、マスターは不在だった。Aは適当なカウンターに腰掛けた。
 「少し待てばお酒は来ますから」
 唯一の客である女性は席ひとつ挟んで話しかけてきた。マスターが来るという意味だろうか。仕組みがよくわからず少し待っていると前髪がよく伸びて顔があるのか分からないマスターがいつの間にかグラスに青い酒を持ってきた。酒を置くとすぐ店の奥へと消えてしまった。ウェルカムドリンクのようなものだろうか。置かれた酒は青空のようで白い泡があり青色ではあるがビールのようであった。青いビールなんて初めてだが1口、飲んでみた。苦味を抑えた味わいは軽やかで僅かな甘味はビールとカクテルの間のような味だ。付き合いでよくビールを飲んでいたが、ビールの特に苦いのは実は苦手で、好みをよく抑えた酒であった。隣で女性が横目でこちらを見て僅かに微笑んだ。
 「ここのマスターは人を見るだけでどのような酒が好きか、分かるのよ。次は何が飲みたいのか、どれだけ飲みたいかも把握しているからわざわざ注文しなくてもお酒を出してくれるの。勿論、あなたの予算も考慮してくれてるわ」
 本当だろうかと半信半疑だが、1杯だされたこのビールには好みが反映されており間違いではなさそうだった。口の中にはわずかな渋みと果実のような甘みが混じり、とても美味しく感じられた。
 「マスターは凄いですね。手品かなにかですか?それとも何か、話し方や見た目、行動から好みを読み当てる力でもあるんですか」
 女性は手元の真っ黒のカクテルを持ち、席を移動して隣に来た。グラスをゆっくりと混ぜながらこちらを見ている。カクテルのような艶やかな黒い髪は腰まで伸び、強気な目元は挑戦的に細められ、店内の光に当てられた顔は白く、赤の口紅がよく映えていた。ふふ、と女性は笑う。
 「私もね、触れるとその人のことがよォーくわかるの。試してみる?」
 ゆっくりこちらに体を向ける女性にドギマギしていると女性は手の甲とAの手の甲を触れさせた。
 「○○で産まれて、こちらに就職かしら?×月×日生まれで両親と妹さんがいらっしゃるのね。」
 Aは目を開く。占った経験はないが占い師より完璧に当てているのではないだろうか。驚きで乾いた口を潤すべく青いビールを1口含む。
 「A。そういう名前なのね、とてもいい名前。×○という両親の願いが込められているのね……。小中高、大学までサッカーを続けていた、そしてあなたはキャプテンになりたかったけど、なれなかった。お習字も小さい頃習っていたみたいだけど、上達しなかったのね、好きな食べ物は燻製チーズ実はお酒があまり強くないからチーズだけ食べるのが好きなのね。そして、彼女は、今はいないけど元カノは1人、名前はAね。どう?」
 次々と壁を剥がされていく様子を呆然と見ているだけだった。当たってるでしょ?と確信めいた彼女の表情を見ているとなんだか怖くなった。しかし、目が離せない。彼女の目をじっと見つめる。
 彼女の姿はAの元カノであるAと似ていた。
 「アア、あ」
 このバーは一体なんだ。
 慌てて椅子をひくと椅子が縦に転けたが、構うことなく1万円札を置いて手足をばたつかせながら急いでバーを後にした。
 扉が閉じるとバーは静かになる。 女性は目を細め、前髪をかきあげながら店主がカウンターに姿を現した。
 「どうしたら男性に好かれるのかしらね。マスター」
 女性は半ばやけくそに言う。
 「男は自分のことを分かってくれる女がみじゃないの?恋人と同じにすれば好きになるんじゃないの?ねえ、なんでよ男に好かれて結婚したい!わたしは愛されたいの!どうしたら愛してくれるの!愛されないと幸せじゃない!」
女は吠えた。マスターは前髪をかきあげて顔のない顔を顕にした。
 「俺には目鼻口、顔のパーツは無いが不幸だと思ったことはない。誰に怖がられようと。目が乾くこともなければ口臭を気にする必要も無い、くしゃみをすることもない便利な顔だ。俺は不幸か?」
 「……」
 「人の評価が全てではないと思うが」
 マスターはつるりとした顔を撫でた。

卵男

全身が痛い。
 肩も、腰も、目も痛いし、毎朝起床しようとすると布団と皮膚が引っ付いてしまったように起きられない。Aはそうは言っても起きないといけないので、見えない糸で無理やり体を引っ張られるようにして体を起こした。Aはここ連日残業続きでタクシー帰りはザラであり、数日終電に間に合った試しがない。社泊も何度もあった。それでも上がらない成績について毎日上司に怒鳴られている。Aは入社3年目のまだまだ新米社会人であるが、一帯の地区の営業を任されており、営業が終わる頃はすでに外は真っ暗で、会社に戻って書類を書いていればゆうに時計の針は翌日を示している。昨日もまた、真夜中のタクシー帰りを強いられたのであった。
 千鳥足で洗面台に向かい、ふと顔を上げるとなんとも情けない髭面男が見えて自嘲気味に笑っても顔面が引きつっていて自分の顔面ながら気味が悪い。見ても楽しくない鏡から顔を背け、便意を解消するため、トイレへと向かう。ぐったりと腰をかけながら腹部に力を入れる。若干の痛みと違和感に耐える。僅かな水音と開放感と共に、尻を拭き、立ち上がる。
 振り向いて中を見るとと真っ白い楕円形のナニカ。少なくとも便ではないこれは
 「た、まご??」
 真っ白な色をした楕円形の物体は、鶏卵と非常に酷似していた。便器に落ち、ゆったり水を漂っており、つまんで取り出す。
 何が起こっているのか。
 Aは確かに力んだが排出されたものは思っていたそれとは異なったものであった。まるでAは卵を産んだようで、つまり鶏のように卵を産んだと、そういうことになるのだろうか。Aは呆然と固まるが、ふと、Aは卵を産んだ時から体が軽くなっていることに気がついた。全身にまとわりついていた包帯が剥がれるような、開放感。大きく息を吸い肺が空気で満たされた。これは、Aの見えない疲労を卵に詰め込んで老廃物として排出したとされるのかもしれない。そう、排出したとしか思えなかった。鶏卵より軽いAの産んだ卵を軽く洗い、吹いて机の上へと置く。素早くスーツに着替えてコーヒーを飲み、扉を開けて駅まで走る。眠気はとうに無くなり全力で走って会社まで行くも、心地よい疲労感だけが残った。今までは会社の最寄り駅にのアナウンスがなれば汗をかき、満員電車に乗る度に吐き気がし、朝が来る度に死にたいと思っていた。長年溜まった疲れは取れず日々蓄積されていた重りを便器に捨ててきたようだった。
 「おはようございます!!!!」
 会社に着くや否や、ざっとデスクを見る。予定を確認し、さえ切った頭で効率の良い仕事の方法をはじき出す。
 「今日はやけに元気がいいじゃないか、成績もない元気もないでは困るからね」
 「はい、精一杯取り組みます!」
 いつもは気の重くなる上司の一言も気にならない。気にならないからストレスとして蓄積されない。 営業先のリストを並べ、上司に営業に行く旨を伝えると颯爽と外出し、車のハンドルを取った。卵みたいなものを産んでからというもの、体がやる気に満ち溢れていた。卵に体内の披露を詰め込んで排出したかのようであった。疲労の色を見せないAの営業は瞬く間に気に入られ、どんどん商品が売れて言った。今までは疲労の顔が客の不評を買い、成績が上がらず、さらに疲労が溜まるというサイクルを卵が消してくれたのだ。成績は過去最も良かった。上司も何も言わずAはもっと成績を上げるため、徹夜をすることにした。もっと営業範囲を増やし、成績をあげるため資料を作る。
 Aは翌日も卵を産んだ。徹夜とは思えないほど頭は冴えていた。人が寝るはずの時間を資料作成に使えるのでとても濃密な資料を作ることが出来、営業プレゼンは成功した。やはり、自分が産むこの卵は疲れや調子の悪さをそのまま排出するものなのだ。その次の週も次の週も、卵を産むたびに丸1ヶ月間休んだかのような爽快感がある。社内の人間が疑うほど営業成績をあげたAは産み続けた卵を持ち久々に定時に帰宅した。カバンの中で卵がコツコツとなる。
 ところで、この卵は割るとどうなるのだろうか。
 考えたこともなかった。そう言トイレに流れないと考え卵はその都度取り出していたが、なんとか処理をしないとば産むだけ産んでいればいずれ場所に困る。では割って卵のからとして捨てるしかないのではないか。Aは卵をゴミ袋に入れ、パンパンにする。ふと持ってみるが、本当にカラだけの重さのように軽い。しかしかなり場所を取ってしまうからこれでは邪魔である。疲労を纏めてくれた恩があるとはいえ何とかしなければならない。

 Aはゴミ袋を括り、その上から卵を全て潰した。