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Aは残す人だった。
行った先々では1つ、お土産を買うしその地を代表するような場所で写真を撮った。絵を描いて、旅行先の感想を書いた。母校には何かしらの寄付をした。Aは毎日日記を忘れなかった。
Aは今まで購入したCDも小説も手元にあるし、レシートも給与明細もある。そしてそれらは全て整然と並べられている。その並べ方は、大抵時系列事であった。軌跡に近いものであった。人は死ねば人生の全てを占めている意識が消える。消えてしまえば自分という存在もいつか風化する。人と関わったとしても、その人間もまた死ぬ。そうなれば完全に消えてしまう。だからこそ、Aは何よりかたちのある何かで残したいのだと考えた。ネットはダメだ、データが壊れ、破するかもしれない。ネットは人が作ったものであり、いつかなくなるかもしれない。何より現物がないことはAを不安にさせたから、AはAの記録をデータにすることはしなかった。Aは人と関わる時間は無駄だと判断した。他人と関わる時間を残す時間に充てた。
自分という存在が消えてしまうこと。
Aは何よりそれが恐ろしくあった。
Aはある時、病に伏せた。
何とかして遺したいと思った。病室にいる間はどこかに出かけるわけでもなく、看護師や医師と必要以上に話すわけでも泣く、毎日日記を書いていた。書きなぐるようなそれはびっしりとノートを埋めつくし、Aは日記を昼も夜も書いていた。病に蝕まれる己の顔を写し、日記に毎日貼り付けた。遺すことに焦りがあった。1秒でも多く遺すことが何より大事であった。病室の窓から見える景色も逐一記録にとり、筆を走らせ続けた。手術を提案されたが、手術する時間すら惜しいと断った。
Aは亡くなった。
病室にはAが望むように大量の記録が残り、写真を入れたことによって大きく膨らんだノートはかつてAの住んでいた家へと送られた。Aに血縁はなく、友人もいなかった。記録を保管する者がいなかった。Aが生涯かけて残した記録はゴミとして捨てられた。