ショートストーリー

毎週月曜日に短編小説投稿を目指します。ジャンルは様々。

あにもうとⅠ

Aは手が止まった。全く分からない文字の羅列を見て頭がおかしくなりそうだった。意味不明な文字列にわからない人名、勉強出来なかったことを後悔しそうになったが自分は忙しかったのだ、仕方ないと納得した。

先日、兄が亡くなった。
交通事故に遭ったらしい。暴走してきた車と電信柱に挟まったとか。そう聞いた時Aは怒りと哀しみと兄への止めどない同情にあふれた。痛くて苦しかったに違いない。まだ生きていたかっただろう。兄は、物静かな人だった。あまり話したことはなかったが、仲はよかったように思う。少なくとも悪くはなかった。穏やかであまり感情表現がない人でAはそんな兄に我儘ばかりで時に気分に任せて怒ったりもした。兄は、何を考えているかよく分からないことも多かったが、兄は、勉強が好きで、日本史が好きだった。今度は京都に行きたいと行っていた。どこに行こうかと嬉しそうにしている時もあった。兄との別れの式は静かだった。私は兄を失ったという悲しみはなく、現実味のない話にぼうっとしていただけだった。

日本史のテストを見る。
『…………』
囁き声が聞こえた。Aは辺りを見回すがテスト中の教室は至って静かだ。Aは言われたとおり答えを埋めていく。
『……』『……』『……』『……』
次々と聞こえてくる声に従ってシャーペンを走らせた。震える手で答えを書き、冷や汗を拭う。声は兄そっくりであった。

家に帰ると玄関扉の外にぼうっと兄が立っていた。兄はAを見て僅かに口角を緩めた。この笑い方も表情も兄そのものである。高校の制服を着た年子の兄はAよりずっと大人びていた。
「お兄ちゃん、い、いきてるの?」
『……、……』
兄は目をつぶって苦しそうな表情だった。ゆっくり首を振ると向かいの道路を見た。確かに、兄の姿は通行人には見えていないようだった。兄は、Aの手を取ろうとしたが、ホログラムのように透けた。 つまり兄は、幽霊のようだった。
『………………』
しかし、Aの知っている幽霊のように扉や壁をすり抜けることは出来ないらしい。Aは扉を開けて「ただいま」と言って扉を押さえて兄を上げた。 兄は、生前よりさらにゆっくりとした歩みで家にあがった。Aは兄を仏壇まで案内した。Aは仏壇にある兄の写真を見て、隣の兄は、もう亡くなっているのだと自覚した。兄は、まさか自分の仏壇を自分で見ることになるとは思わなかったのだろう、自分の写真を見てなんとも表現しがたい複雑な表情をした。生前からよくわからない人ではあったけど。Aは写真の兄に手を合わせた。兄はそれをじっと見ていたようだった。
「おかえり、A」
母は仏壇の前に座るAを見て悲しい表情になった。母は「ごはんできてるからね」とそう言って台所に戻っていった。勿論兄のことは見えていないようだった。
『…………』
「そうだね」
Aは夕飯を食べ、風呂に入って部屋へと戻る。生前と同じように部屋に入ることを躊躇う兄を部屋に入れて作戦会議をすることにした。